【人を笑顔にさせる料理を追求して】

・調理科のある高校へ
・料理人の下積み時代を経て
・アルバイトとして出会ったGB
・地元でお店を開くために

入社1年目 32歳
出身:鹿児島
趣味:スキューバダイビング・登山

Q、なぜ料理人を目指そうと思いましたか?

小学生の頃、親に料理を作ると喜んでくれて、それが凄く嬉しかったことがきっかけです。その時に料理で人を笑顔にさせることが出来ると気付き、調理師を目指すようになりました。その後、鹿児島で唯一調理科のある高校に入学して、調理師を目指す日々でした。

Q、どのような高校時代でしたか?

最初は親から料理人になる夢を反対されていたので、尚更ちゃんと料理人になろうという気持ちが強かったです。また、専門学校ではないので、普通の高校の勉強にプラスで調理の勉強があるカリキュラムでした。そのため勉強三昧で大変でしたが、毎日が新鮮で充実した3年間となりました。

その後、「山の上ホテル」に就職をして料理人としての修行がスタートしました。

Q、修行時代はどうでしたか?

料理人の世界はイメージ通りの厳しい環境でした。料理を作るポジションを任せてもらえるまでに3年以上かかり、それまでは自分から先輩にお願いをして学んでいました。そして、後輩が出来た2年目のある日、後輩よりも出来ない自分が悔しくて逃げ出したことがありました。当時は変なプライドが高く、素直になれなかった結果、逃げ出してしまったんです。ですが、わざわざ料理長が家まで来てくれて、説得をしてくださり、最後は料理長に謝ってホテルに戻りました。

Q、ホテルを辞めるきっかけは何でしたか?

もともと、いろんなお店に食べに行くことが好きでした。そんな中で、「こういう料理を作りたい」と思うレストランに出会いました。その頃には山の上ホテルで12年働いていたので、心機一転して新しいことに挑戦しようと決意しました。

そして、履歴書を持ってレストランに行き、「働かせてください」と直談判をしたんです。そのお店はミシュランガイドに載っているほどレベルが高いお店だったのですが、無事に入社させてもらえました。レベルが高いだけあって働く時間も長く、思っている以上に大変でしたが、意識の高い先輩や料理一筋である料理長の姿に憧れながら働いていました。

Q、Globridgeとの出会いはいつですか?

当時は給料が高いということよりもミシュランに載っているお店で働きたいと思っていたので、給料はいくらでもいいという条件でした。ですが、実際に入ってみると、生活すら大変なほど給料が低かったので、アルバイトをしてダブルワークを始めたんです。その時のアルバイト先がGlobridgeの居酒屋でした。

将来、自分のお店を出すために貯金もしなければいけなかったので、とにかく時給の高いお店というだけでバイト先を決めました。

Q、なぜ社員になろうと思いましたか?

Globridgeはただお店の営業をするだけではなく、そこから経営を学ぶことが出来ると感じました。特に僕は物事を理論的に話すのが苦手なので、説得力のある説明が出来るようになりたいと思っています。現在も店舗で行っているアンケートをデータ化して問題点や改善点を出しながら勉強しています。これをしっかり数字で説明出来るようになるのが目標です。

Q、実際にお店ではどんなことをしてきましたか?

メニューは自分が考案した手料理にほとんど変更したので、原価を抑えられるようになりました。あとは、店内看板やPOPなども作って、自分のイメージに合ったお店に変わってきています。最近はNPS(正味顧客満足度)も徐々に上がってきたので、このままアンケートを参考にしながらNPS改善もさらに頑張ります。

Q、将来は何をしたいですか?

地元である鹿児島が好きなので、地元でお店を出すのが夢です。ランチはエビフライやハンバーグ定食など定番メニューのあるザ・洋食屋さんにして、夜はワインがメインとなるようなバルをやりたいです。
鹿児島の人は地元愛が強いので、地元の人が気軽に来れるようなアットホームなお店を作ります!