【アルバイトとしての自分とマネージャーとしての自分】
・大学から上京、知らない世界へ
・アルバイトとしてGBと出会う
・GBに惚れ込んだ理由
・マネージャーとしてのこれから
入社6年目 31歳
出身:静岡
趣味:特になし。
中学のときはバレーボールで東海大会に出場!
Q、東京理科大学出身と伺いましたが、なぜ理科大にいこうと思いましたか?
小さい時から親に反抗ばかりしていたので親とあまり仲が良くありませんでした。それでも、自営業の親を将来は安心させてあげたいと密かに思っていたのですが、そんな時に親から理系の大学に行ってほしいと言われました。当時はメーカーに就職したり、研究者になったりすれば将来は安泰だと思っていたので、ささやかながらの親孝行だと思って理科大に進学を決めました。
Q、上京をした大学生活はどうでしたか?
20時以降は町が真っ暗になる田舎から上京したので、夜のほうがギラギラと明るい東京にのめり込みました。ですが、卒業出来ないようなカッコ悪い人にはなりたくなかったので昼間は勉強して、夜に寝る時間を削って遊ぶ毎日でした。
4年の時には理系の有名どころに就職したいと思い、大学院に進学しようと試験を受けたのですが、落ちてしまいました。その後、留年することを決めて、バイトを探していた時に出会ったのがGlobridgeの1号店「せかいち」でした。
Q、GB1号店の「せかいち」はどうでしたか?
当時店長だった大石さん(現Globridge副社長)が12月の売上目標1000万円を掲げました。働き始めて2ヶ月くらいの僕にとっては1000万目標がどれだけ凄いことなのかわかっていなかったのですが、とりあえず一緒に目標を追い出しました。昔は口では立派なことをいう大人が大嫌いでした。ですが、大石さんは口だけではなく誰よりも一生懸命でしっかり目標も達成していたんです。人生で初めてかっこいい大人に出会いました。
Q、結局、留年をせずに就職をしたそうですが、きっかけは何ですか?
1月に若(Globridge社長)と飲みに行った時に、若から「留年して遊んでるこの時間が無駄だな。営業でもなんでもいいから自分がどのくらいの者か試してみたら?」と言われ、「やってやる!」っていう気持ちになりました。そこから就活を始め、たまたまメーカーの技術営業の枠が空いていたので滑り込みで面接をして2月末に内定をもらうことが出来ました。
Q、初めての就職はどうでしたか?
あまり競合がいないオンリーワン商品の営業だったため、しっかりアピールが出来れば受注を取ることは簡単でした。そこの会社は高額のボーナスをもらえて、土日休みで福利厚生も充実していたので将来に不安もない完璧な環境だったと思います。
Q、なぜ、GBに転職をしようと思いましたか?
社会人になって約3年経った時に「大石さんは今何をしてるのかな?」と思って調べると、昔は2店舗だった店舗数が約50店舗に拡大していました。また、大石さんもパーマをかけちゃったりしていて、昔との変化に衝撃を受けました。
その時に、今の会社には自分がなりたいと思うような人がいないと気付きました。このままここで平凡な10年後を目指すより、大石さんみたいにもっと挑戦する毎日にしたいと思いました。
Q、GBに入社してから苦労したことは何ですか?
僕は今まで人に頼るより自分でやったほうが早いと考えていたので、「後輩」というものが苦手でした。後輩から「なんで本気でぶつかってくれないんですか?僕のこと信用していないですよね?」と言われたことがありました。人を信用することが苦手な僕にとっては後輩をマネジメントするということが凄く大変でした。
ですが、話し合いをしたきっかけで仕事の担当を分業することにしたんです。すると、お互いに別の目標を持つことで倍以上のスピードで店舗を改善していくことが出来ました。この分業が僕の人生の中で凄い革命を起こしました。
Q、どのようにエリアを築いていきましたか?
マネージャーになった頃は自分の理想と一致していないと相手を受け入れることが出来ませんでした。当時のエリアメンバー4人で合宿ミーティングをしたときに3年後に100店舗をもてるようになりたいねという話になったのですが、そのためには、まず人を増やして育てないと組織を大きくしていけないということに気付いたんです。
そこから、初めて人を育てる大切さを知りました。
Q、これからはどんなことをしていきたいですか?
GB13期にはエリアを法人化していきたいと考えています。飲食だけではなく、若い人がいなくなって元気がなくなった町や村をもう一度盛り上げていく地域活性化事業など、いろんな事業を展開していきたいです。エリアメンバーが興味あることに投資出来るようにこの2年で土台作りをしっかりしていきます。今若いメンバーが2年後には事業責任者が出来るまでのレベルに成長させたいです!